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ハンブルク・バレエ団の来日公演


アリーナ・コジョカルさんが特別出演することでも注目のハンブルク・バレエ団の来日公演

『リリオム』が来る!

三浦雅士(評論家)

 ハンブルク・バレエ団が久々に来日することになって喜んでいるのは私だけではないだろう。何しろ、前回が2009年なのだから7年ぶりである。むろんその間に、東京バレエ団がノイマイヤーの『ロミオとジュリエット』を上演し、ノイマイヤー自身も来日したので、不在の印象はいくらか和らぎはしたが、しかしそれにしてもいささか間が空きすぎる。ゆうぽうとホールが所有者の一方的な都合で閉鎖されたことにしてもそうだが、日本には文化の全体を総合的に眺める視点が、政府にも民間にも欠落している。NBSの英断に感謝するのはこれもまた私だけではないだろう。

ラストシーンに鳥肌が走る

 ハンブルク・バレエ団が今回上演するのは『リリオム─回転木馬』と『真夏の夜の夢』。前者は2011年、後者は1977年の初演。ノイマイヤーがフランクフルト・バレエ団からハンブルク・バレエ団の芸術監督に転じたのは1973年、以後ほとんど半世紀を経るが、今回は、就任して間もない頃の作品と現在の作品を間をおかずに見ることができるわけだ。ちなみに、ノイマイヤーは『真夏』の前年に『幻想~「白鳥の湖」のように』を、翌年に『椿姫』を作っている。1977年、ノイマイヤー35歳、脂の乗り切った時期である。

『リリオム』はハンガリーの劇作家モルナールの1909年の戯曲。鴎外の『諸国物語』所収の『破落戸の昇天』はその小説版の翻訳、最近発見されて話題になった川端康成の未発表戯曲『星を盗んだ父』は戯曲の翻案。20世紀の伝説的名作であり、何度も映画化されている。私見では、『回転木馬』の表題で封切られた第二次大戦後のミュージカル映画より、原題そのままの1934年のフリッツ・ラング監督作品のほうが良く、1930年のフランク・ボーゼイギ監督作品のほうがさらに良い。

 伝説的物語になったのは冥界下降譚の現代版だからである。すぐれたバレエはすべて冥界下降譚の要素を持つ。ノイマイヤーはそこに惹かれたのだ。

 遊園地で回転木馬の呼び込みをやっていたリリオムという人気者が、ジュリーという女の子と出会って一緒になるが、やはりリリオムに気があった回転木馬の持主のマダムに即刻、解雇されてしまう。ジュリーのためにも働こうとするが職がない。気が立ったリリオムはジュリーを思わず殴ってしまう。そのくせ赤ちゃんができたと告げられて、舞い上がってしまうほど単純。金が必要だと思い込んだリリオムはヤクザ者にそそのかされて強盗を企むが、根が素朴なために警官に取り囲まれて自殺してしまう。ここまでならば20世紀の伝説的名作にはならない。天国(つまり未決囚のための煉獄)へ行ったリリオムが16年後に一日帰宅を許されて帰ってくるのである。そこが名作の所以。原作では娘、バレエでは息子に会うのだが、そしてこの変更が秀逸なのだが、天国から星を盗んできて渡そうとしたにもかかわらず、ジュリーにしっかり育てられた息子は星を受け取りはしても、それ以上の親しさを受け容れようとはしない。怒ったリリオムは(煉獄で浄化されたにもかかわらず)思わず殴ってしまう。後悔するが間に合わない。だが、息子はその後に母に尋ねるのである。「殴られても少しも痛くないということがあるの?」「ええ、確かにあるわ、いくら殴られても、少しも痛くないの」。観客はここではじめてバレエ冒頭の父と子の場面がこの場面にほかならなかったことを知る。そして全体が回想だったことの意味に気付く。

 バレエではこの直後のラストシーンが凄い。公園のベンチの上、ジュリーが、目には見えないリリオムと精神的に触れ合うのだ。リリオムには(そして観客にも)ぜんぶ見えているわけだが、ジュリーにだけはリリオムが見えない。けれど、その愛だけは全身で感じるのである。ジュリーがそう感じていることが観客にはっきり伝わってくる。鳥肌が走る。これだけでもハンブルクに行く価値があると言いたいほどだが、今回はむこうから全カンパニーが来てくれるのである。しかも、初演同様、ジュリーをアリーナ・コジョカルが、リリオムをカーステン・ユングが踊るという。この表情だけでコジョカルは歴史に残る。

「リリオム~回転木馬」

【公演日】

2016年

3月4日(金)6:30p.m.

3月5日(土)2:00p.m.

3月6日(日)2:00p.m.

〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉

【公演日】

2016年

3月8日(火)6:30p.m.

3月9日(水)6:30p.m.

*演奏:特別録音による音源を使用

「真夏の夜の夢」

【公演日】

2016年

3月11日(金)6:30p.m.

3月12日(土)2:00p.m.

3月13日(日)2:00p.m.

主催

公益財団法人日本舞台芸術振興会/日本経済新聞社/テレビ東京

後援

ドイツ連邦共和国大使館

会場:東京文化会館

「人生においてもっとも大切なことは、誠実であることです。私の仕事に関連付けて言うならばそれは、本来の自分でいること、自己に忠実であること、そうした上で平和な世界を促進するという人生哲学を表現することです」

 バレエ作品を通して人の心の在りようをさまざまな形で描いてきたハンブルク・バレエ団の芸術監督、ジョン・ノイマイヤーが2015年秋、「京都賞」を受賞した。稲盛財団が掲げる“科学の発展と精神的深化のバランスが取れてはじめて人類の未来は安定したものとなる”という理念に基づき選考されるこの賞の、第31回「思想・芸術部門」での受賞である。過去の受賞者には、ピナ・バウシュ、坂東玉三郎、三宅一生、初代吉田玉男、安藤忠雄、イサム・ノグチ、モーリス・ベジャール、アンジェイ・ワイダ、黒澤明などなど、歴史に影響を与えた芸術家たちが名を連ねる。

11月10日に行われた京都賞授賞式の直前、まずは自身が考える“舞踊が人間の精神にもたらす影響”とは何かについて、尋ねてみた。

「これについて話すとなると一日たっぷりかかりそうです。が、まず舞踊の特異性について言うならば、それは“人間の身体を道具として使っていること”であると思います。言葉を道具にすれば、時として翻訳が必要になりますが、身体の動きと言うのは人類共通のシグナルとして認識することができます。つまり、ダンサーたちの動きが観客の感覚に直接訴えかけ、そこに感覚的な、直接的なコミュニケーションが生まれます。ダンスは、人種も国境も越えたユニバーサルな言葉なのです」

 少年時代には絵画の才能を発揮し8歳から美術学校に通うも、青年期には演劇にも魅かれ、そんな中で次第に踊りたい衝動にもかられるようになったというノイマイヤー氏。同時に宗教や精神医学などにも関心を持ち、一時は神父、精神科医になろうと思ったこともあったそうだ。そうした経歴がそのまま、氏の精神の血肉となった。

「振付とは人の身体で空間をデザインすることです。そしてバレエのストーリーには精神的な動機付けが重要です」

 ダンス作品を作るうえで必要なエッセンスが、自然に氏の精神に蓄えられていたということである。「この仕事が、私を呼んだのだと思っています。私はそれに従い、以来ずっとこの仕事が与えてくれる喜びを享受しています。私の創る作品の全てには、私が影響されてきたことが入っていると言えるでしょう」

 世界中から最も愛されている代表作の一つ『椿姫』のような物語バレエでは人間に対する深い洞察力が大いに生かされていると言ってよいだろう。そして、ノイマイヤー氏が以前から日本文化と自分の思想の間に通底するものがあると感じていたことで、生み出された作品の存在も忘れてはならない。

「東京バレエ団のために振付けた『月に寄せる7つの俳句』には、私のバレエに対する必須要素の核とも言えるものが含まれています。『人魚姫』は日本の伝統演劇にうんと近づいた作品だと言ってよいでしょう。しかし私は意図的にそれを行おうとしたのではなく、日本の伝統芸能への関心から得たものが無意識的に表れたものなのです。私の一部になったものが新しいものを生み出すというプロセスを経た、自然の結果なのです」

 3月の来日公演は『リリオム』『真夏の夜の夢』そしてガラ公演《ジョン・ノイマイヤーの世界》の3本立てだ。

「『リリオム』も『真夏の夜の夢』にも、現実と妄想に対する革新的なエッセンスが盛り込まれています。ガラでは、作品を通して一人の振付家の人生を辿っていただけるかも知れません」

 そして最後にこう締めくくった。「バレエは人間を見つめ、それを全方位から表現することを可能にした、偉大な芸術です。そしてそこには、振付家の感情が必ず存在しているのです」

取材・文=浦野芳子(ライター)


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